私思累々

映像業界から抜け出せないみそじ

なぜ映画を観るのか?

「なぜ映画を観るのか?」
なんてことを考えている人はどれくらいいるのだろう。


きっとそんなに多くはない。映画は娯楽で一過性のジェットコースターに乗るように、その瞬間楽しめて、劇場を出たら連れに「何食べる?」って聞けるくらいさっぱりしてるのが「いい映画」とされているような気がする。
そうでなければ「泣ける映画」なんて言葉が存在するはずがない。だって「泣く」ために劇場に行っているわけで、買いものするみたいに映画そのものも、その瞬間に消費できるかどうかが世間一般的には重視されているのは疑いようもない。終わったら、劇場を出たら、終わり。それが娯楽の基本だ。


でもぼくはもうそんなふうに映画と付き合えない。


小学生の頃に「ジュラシック・パーク」を父に連れられて観に行った時、「激突」さながらにT-REXに追い回されるシーンで本気で劇場から逃げ出さそうとしたぼくは、今もあの恐怖と興奮と衝撃が忘れられない。T-REXはあの日のぼくには本物として写っていた。


現実と虚構の境目を失う。これは絵画や小説などでは滅多に味わえない。嘘っぱちのスクリーンからはみ出して来る地続きの本物の何か。それは時に恐ろしく、時に優しく、時に奈落の底に突き落としてくれる。一度触れた本物は、ボケ老人になるか死ぬまで忘れらそうにない。ぼくは、それが幸福だ。


ぼくはそんな体験を求め、今日も映画を観て、映画を想う。
そんな三十路の映画への戯言です。